喝采と嘲笑と

新潟中越地震で生き埋めになった家族を助けた勇敢なレスキュー隊員がいる。
「絶望的な現場。しかもいつ崩落が起きてもおかしく394;い状況だった」
というこの巻田隊長は、台湾地震や阪神大震災などを経験してきたベテランである。
TV中継されていたので現場の映像を見ている人も多いと思うが、救助活動の真っ最中にも震度6クラスの余震に見舞われ作業は困難を極めた。
巻田隊長は「生きてる。生きてる。絶対助けるんだ。ひと握りの砂も石も車内に落とすな」と隊員をしったした。
という現場の作業、そして隊員たちが隊長の言葉通りに一握りの砂も石も落とさないよう、土砂の除去には器具を使わず、ひたすら自分たちの手で掻き分ける必死の作業によってついに3名の家族のうち最も幼少の男の子(2歳)が助け出された。地震発生から92時間も経過しながら、2歳の男の子は生きていた。
巨大な岩と土砂が一瞬で崩落し、ワゴン車(おそらくトヨタ・エスティマと思われる)が厚さ1mほどに押しつぶされたらしい。助け出された子供は身体の小ささが幸いしたか。
隊員たちは、まだ車内に取り残されているとおぼしき母親と姉(3歳)を必死で探す。
だが努力もむなしく、夕方に助け出され病院に搬送された母親の死亡が確認された。
記事によれば
発見された貴子さんは両足を大きな岩で挟まれ、೮9;をハンドルにかけた状態で運転席にいた。鼻や口に土砂が詰まっていた。死因は胸部、腹部を圧迫されたことによる窒息死で、死亡推定時刻は本震があった23日午後6時ごろ。土砂崩れに巻き込まれた際に即死した可能性が高いという。
無念である。最後に残った姉を救出する作業について、18:40ころに作業を一時中断するというアナウンスが各局ニュースで流れたが一転、19:00には救助が再開され、照明の光る中で作業が決行される。だが
真優ちゃんの足の上には、土砂崩落防止用のH鋼材が乗っており、その上には岩も乗っていた。H鋼を切断すると上部の岩;が崩れる可能性があるため、救助隊員は車体の一部を切断しながら、手で土砂を取り除く作業を続けていた。
そして
27日から徹夜で救出活動を行った長女真優ちゃん(3)は28日午後0時20分、死亡が確認された。
さらに現場の状況とこれ以上の作業による岩石崩落・二次災害の危険性が極限に達したため
レスキュー隊は真優ちゃんの遺体を出せないまま、現場を離れることになった。
清塚光夫部隊長(47)は「心を鬼にして隊員に中止を伝えた」と無念さをにじませた。巻田隊長は「次の隊員と交代して続くものだと信じていた……」と024;2日寝ていない赤い目をこすった。
のである。単身赴任で東京に居た父親が、急報をうけ矢も盾もたまらず現地に戻り、本当ならば自分で掘り起こしてでも2歳年上の姉さん女房と、まだ満足に話しもできない小さな2人の子供を助けたかっただろう。レスキュー隊員たちは事故に遭遇した3名の家族や見守る周囲の人たちの期待にたがわぬ立派な仕事をしてくれた。
人命を救助するためにおのれの命を懸けてもやまぬ人達がいる。
今回は3名のうち1名だけでも奇跡的に救助された。そして、それでも救えない命がある。
努力されたレスキュー隊員および後方で支援した;方々に心から喝采を贈りたい。

一方、福岡県の香田証生氏は
「自分探しの旅に出たい」
とか
「いや、旅行者だから大丈夫ですよ」
などと言い残し、イラクで武装組織に拘束された。現在のイラクの情勢は危険極まりなく
現在、日本の報道機関は、共同通信とNHKが記者ら数人をバグダッドに常駐させているが、他は「あまりに危険すぎる」と撤退している。(中略)今年5月、バグダッド近郊で車が銃撃されて死亡した橋田信介さん(当時61歳)とも親しかった宮嶋さんは「自衛Ɓ38;以外の取材は全くできなかった。イラクはとても旅感覚で行くところではない」と疑問を投げかけている。

という状況で、かつ
滞在中に居合わせたドキュメンタリー映画監督の四ノ宮浩さんから「危険だから行かない方がいい」とイラク行きを止められた。しかし、香田氏は「いや、旅行者だから大丈夫ですよ」と制止を振り切り、20日午後に「5、6日後に戻ってくる」と言い残し、バスでイラクに入った。
香田氏は携帯電話なども持たず、「お金はあまりもっていない。ホテルが高ければ外で寝る」と話すなど、危険な状況を認識し390;いるようには見えなかったという。
などと身の程知らずもいいところであり、「自業自得」の言葉通り、いくら救助を懇願されても嘲笑を買うばかりである。

人の命に軽重はないが、これでも同じ人間かと思わせる。

奇しくも同じ時に起こった、かたや他人であっても命の尊さと奇跡を思わせる出来事と、かたや自らの命を粗末に扱い、なるべくして危機に陥り国家レベルの騒ぎを起こす愚者の出来事の対比の鮮やかさには、うならざるを得ない。

なお、事故発生から長時間経過した後、専門家も驚愕するほどの生命力で奇跡的に救助された前例として御巣鷹山日航ジャンボ機墜落事故で助かった川上慶子さん(当時12)がいる。記事によれば、彼女はその後、亡くなった母親と同じ看護師の道に進み、阪神大震災の際には尼崎市内の病院で、内科の看護婦として救援活動にも携わったという。看護師として活躍していた川上さんは昨年3月、アメリカで知り合ったという5歳年下のサラリーマンと結婚。今は看護師の仕事も辞めている。
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by xdev | 2004-10-28 23:01 | ニュース
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